フォード カプリ。
IIIと呼ばれる |
上級モデルは当初ドイツ製V6・2,000ccであったが1969年末には125の2300GTがドイツで、V6・3,000cc138馬力の3000GTが英国でそれぞれ追加された |
正直こんな車があったのか?というレベルだ |
6mオーバーで大排気量エンジンを積んでいたマスタングほどに大きくはなかったが、程よい実用性とスポーティさ、パーソナル感、エンジン・グレード・オプションの組み合わせを豊富に用意する販売方法などは、マスタングからしっかり受け継いでおり、名実ともに、まさに「ミニ・マスタング」と呼べるクルマだった |
カプリは1969年から1986年までの17年間生産され、累計200万台をセールスしたビッグネームである |
欧州フォード製 [ ] 1969年1月、アメリカで大ヒットとなっていたの成功をヨーロッパで再現しようと、前年発売したに次ぐ英独フォード共通モデルとして登場した |
この車はフィリップT. さらに1961年になって、アングリアとコンサルの間を埋める4ドアセダン「コンサル・クラシック」を投入 |
2は、1972年スパ24時間で優勝、同年にはヨッヘン・マスがETCチャンピオンに輝くなど、欧州各地のサーキットで暴れまわった |
カプリは英国とドイツで大ヒットし、1969年だけで40万台を販売する人気となった |
アダプティブクルーズコントロール• その際、エンジンラインナップも1. 45リッターまで排気量を縮小した直4ツインカムターボをミッドシップにマウント |
シャシーはランボルギーニに開発から生産までが委託され、ジャンパオロ・ダラーラがデザインしたが生産計画が遅れに遅れ、外注先を変更したものの400台を生産して公認されたのは1980年の暮れ |
ETC2. さらに1983年には、2. ドライブレコーダー• 「カプリ」は、当初サブネームだった そんなイギリス・フォードの1950年代末のラインナップは、下から「ポピュラー」、「アングリア」、その4ドア版「プリフェクト」、1. 後にはF1GPに参戦するまでになるドイツのコンストラクター、ザクスピードがフォード・カプリをベースに仕立て上げたシルエットフォーミュラがターボ・カプリ |
2人は労力も惜しまずカプリに愛情を注ぎ込む |
6L・V6をわずかに排気量アップ、クーゲルフィッシャー製インジェクションを装着 |
1963年には、コスワースが開発したツインキャブエンジンを積んだ「GT」も追加している |
フォードカプリMK IIは1974年から1978年まで製造されました |
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アントはエンジンや内装を完全にやり直して、外見には独自のデザインを加えようとする |
そして、この記事「最後のカプリ」が、こちら |
なお、英国以外に提供されたカプリは、すべてドイツ製だった |
1978年には第3世代へ発展する |
パワーウィンドウ• モデルチェンジで「カプリII 」に進化 1974年、カプリはモデルチェンジを行って「カプリII(カプリMk. ディーラーが営業ノルマの為に登録した未使用車や低走行の試乗車など、新車同様の車両が毎月たくさん出回ります |
リフトアップ• スマートキー• シートエアコン• 3Lの「ゼファー」、さらに高級な旗艦「ゼファー・ゾディアック」と並んでいた |
全周囲カメラ カーナビ• 初代カプリは、本国アメリカでもリンカーン・マーキュリーのチャンネルから販売が行われた |
ベースモデルのモノコックを使用し、ターボチューンを施したエンジンに換装しオーバーフェンダーとエアロパーツを装着するという、コンサバなマシンだったが、やはり1. 欧州では1911年に「イギリス・フォード(フォードUK)」を、1925年にはドイツに販売や組み立ての拠点を設け、1931年に正式に「ドイツ・フォード」を立ち上げたことに端を発する |
しかしそれも長くは続かず、1986年にカプリはすべての生産を終了した |
Vol. メカニズム面では初代を引き継いだが、英独市場で異なっていたパワーユニットは共通化が進んだ |
そのマスタングの英国&ドイツ向けモデルとして企画されたのが、カプリだった |
写真は、1982年の「カプリ・ターボ」 |
LEDヘッドランプ• その際、エンジンラインナップも1. その後3. 愛車の査定相場を把握せずに商談に入ると、安く提示された下取り額に対し判断が出来ず 大きな損をする事に… |
音もなかなかシビれるサウンドを轟かせてくれる |
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